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第35号 死・中陰・転生についての質疑応答 その8 (2014.08.立秋) 

中陰と“人格者”


35号 ― 47 話   『 死・中陰・転生についての質疑応答 その8 』より 抜粋

質問
「中陰をスムーズに通り抜けられる人」は、俗にいう「人格者」とは違うのでしょうか。
この2つの関係は、どうとらえたらいいでしょうか。

回答
「中陰をスムーズに通り抜けられる人」とは、良き中陰環境を作れる要素を備えている人で、「人格者」とは、すぐれた人柄や品性を備えた人を指す。この違いは、心のどの層に焦点を当てて心的作業を行なったかによって生じる。
前者は、無意識層に焦点を当てた心的作業(修行)を続けた結果であり、後者は、表層意識を制御し続けた結果である。

無意識層に焦点を当てた修行の結果として、中陰へ持って行ける4つの要素に良きデータが増えれば、それが性格に反映されて、大らかさ、優しさなどの“いい人”の属性を帯びるようになる。だから、中陰環境を良くする条件が整った人が、「人格者」である場合は多いだろう。
しかし、人格者を目標にした努力は、表層意識レベルにとどまるので、4つの要素には影響を及ぼさない。せいぜい善をいくらか積める程度だ。これゆえ、単に人格者であるだけなら、ほとんどは中陰をスムーズに通り抜けられない。人格者になろうとすることと、中陰環境を整えることは、全く異なる作業なのだ。

私は、人格者になろうと思ったことも、なる必要性を感じたこともない。
いわゆる人格者が生きる基準にしているのは道徳や倫理だが、それは、恥ずかしいから変なことはしない、空恐ろしいから変なことはしない、というこの世の掟に過ぎない。そんなもので自らを縛っても、「死」を目の前にしたときには、何の意味も持たない。
無意識を統御し中陰環境を整える実践から滲み出るものによって、人格者になればそれでよし、なれなくとも別段どうということはない。饅頭の中身が甘ければ、皮の見栄えなどどうでもいいのである。


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