第44号 創運から見た初期仏教 その5 (2015.08.立秋)
無意識をコントロールする武器
44号 ― 57 話 『 運の彼方に輪廻が見えた その1 』より 抜粋
(私が20代の頃に実践していた)甘露を使って心を鎮めるメソッドには、苦悩を昇華させる精神性や経典の理解による論理性は介在しない。“技術的な悟り”と言うことができるだろう。
負の感情が統御されるのは、視床下部が活性化することで自律神経的、内分泌的な変化が起きるからだ。それが、内分泌のネットワークによって体中に広がるのである。理屈で感情を抑えるよりも、生理的な変化によって感情を静める方が、強力、かつ、自然な抑制力になることは間違いない。
私は、このような心のコントロールの仕方があることに驚いた。なにしろパートタイムながらも本物の聖者ができあがるのである。この経験をした人は驚嘆したであろうし、「聖なる○○」という表現をしても何の不思議もないだろう。
私は、甘露の経験は、心に平穏をもたらすのが最大の効果だと思っていた。しかし後に、その考えが間違いであることに気付いた。
心の平穏はオマケであり、最も重要な効果は、視床下部が活性化された影響が大脳辺縁系に及ぶことによって、一般の修行者よりも、はるかに無意識がコントロールしやすくなるということだ。 これにより、より深い無意識に入れるようになった。
私が「潜心力」と呼んでいる、無意識に入る能力がアップしたのである。
潜心力のアップは、2つの面で大きな効果をもたらした。
まず、非常に深い無意識領域が認識できるようになり、後述する「サマディ」や「根源体験」を経験することができた。
さらに、浅い無意識層なら瞑想しなくてもコントロールできるようになった。私が現実世界と無意識世界の両方に足場を置けるようになったのは、このためだと考えている。
一般的には、
修行者が無意識に入る経験を繰り返すと、無意識層に足場を持って生きるようになるため、この世への興味が薄れ、浮世離れをするようになる。しかし私は、現実世界の足場も持ち続けた。これが後に、「運」という、現実と無意識を結ぶ世界を解析することにつながっていく。
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